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商品詳細

小金井在住の画家「木村百木」旧蔵資料一括

【商品名】 小金井在住の画家「木村百木」旧蔵資料一括 
【状態】 経年相応の劣化有
【備考・コメント】
■木村百木(本名・晴三)は、明治20年名古屋市生まれ。少年期に日比野白圭に土佐派を、青年期に浅井忠に水彩画を学ぶ。
京都帝国大学入学後(中退)に禅に目覚める。軍隊生活を経て、大正7年より東京に移転(瀧野川)。昭和元年に故郷の名古屋で初の個展を開く。
昭和9年、小金井で坐禅と画の道場を開き、同地にて居を構え、昭和52年に91歳で亡くなるまで終生小金井で暮らした。

■本資料は、京大在学時中心の自筆日記4冊(明治39年〜43年記。内1冊は表紙に「軍隊生活の憶出/第一回断食記」とある)、大正12年より昭和47年の間に綴った自筆の『百木随筆その一』〜『同その七』の7冊(内容=「関東大震災」「展覧会の画は厭だ」「邦画と洋画」「宗教撲滅運動」「金に困る」「画家T君来訪」「第二回断食記」「猫を捨てる」「遺言」「敗戦に感謝す」「個展失敗記」「蘇峰先生へ」「作品献上記」「日本文化の行方」「九州朝鮮行脚」「小金井春風園個展について」等々)、昭和23年に綴った自筆『半農日誌』2冊、昭和11年・12年・40年・41年・43年の年度別自筆日記各1冊、晩年に執筆された自伝的内容を含む『慾と禅』と題した全15巻から成る自筆ノート15冊、徳富蘇峰からの葉書4通を含む百木宛葉書約300通(半数ほどは賀状)、徳富蘇峰の落款入百木宛献呈本『続蘇峰詩草』(石橋豊治郎手写)、昭和10年頃の中年期から晩年までを記録した大判の写真アルバム3冊(「於徳富邸」「頭山邸にて」「交詢社にて個展」「聖上陛下ニ献上御嘉納ノ栄ニ浴セル二作」等のキャプション書入有)、学生時代から晩年期に描かれた肉筆画帳10冊(内1冊は『裸女百態』と題したもの)、個展目録及芳名帳、金婚式記念帖、百木米寿祝賀記念帖など、ミカン箱サイズの段ボール箱二個分の量。

■“小金井には数人毛色の異なった人間が住んで居るが、その中でも永井銀治郎と加藤典雅は特に之を名物男として天下に掲揚して差支なからうと思ふ。
永井君は先日府から表彰された一介の人力車夫であるが、その天真なる人格に至っては之に及ぶもの果して幾人あるかと思ふ。よく他地方の人が小金井に知人を訪問してこの車に乗る事がある、それが学校の退け時かなんかだと途中学校生徒が皆立止まって丁寧に礼をする。車上の客はいい気になって会釈して居る。所が豈図らんや生徒等は車屋さんに礼をして居るのである。この永井君は幼い時貧乏だったので学用品が自由に買へなくて非常に辛い思いをし、それで今は多勢の学校生徒の中には貧乏で困っている子が必ず沢山あるだろうからといふので、時々学校へ程々の学用品や雨傘などを寄附するので、生徒等は其徳に感じて心からなる礼を致すのである。
それならこの永井君、今日そんな余裕があるかといふと決してそうではない。毎日壱円五十銭稼いだらそれ以上の収入は貯金しておいてすべて公共事業に寄附するといふ規則を自ら作って之に従って居るのである。学校への寄付が一番多いらしいが、それのみでなく先日も出征遺家族へ醤油の一升瓶を一本ずつ配った。そしてこんな行いを別に自慢するでもなく、唯自分の生活を楽しんで居る、正に達人の境地である。以前にも小金井へ移住したある人が…(後略)”
(『百木随筆その四』内収録「小金井二人名物男」より)
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