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ホーム芸能/映画/演劇/芝居/テレビ 岡田三郎自筆日記9冊一括 ☆戦後復興期に於ける芸能界の裏面史 ■ 昭20年10月10日〜26年10月10日内
商品詳細

岡田三郎自筆日記9冊一括 ☆戦後復興期に於ける芸能界の裏面史 ■ 昭20年10月10日〜26年10月10日内

【商品名】 岡田三郎自筆日記9冊一括
【刊行年】 昭20年10月10日〜26年10月10日内
【状態】 経年相応の劣化有
【備考・コメント】
★ 岡田氏は昭和19年に明治大学商学部卒、昭和21年東宝株式会社東宝音楽団入社、昭和23年同楽団解散を受け東宝芸能事業株式会社音楽課員となり、翌年同音楽課長代理の任に就く。
昭和26年8月より電通ラジオ局ラジオ部芸能課長に就任、その後ラジオ局制作部製作課長、テレビ企画製作部副部長、部長、次長、チーフプロデューサー等を歴任し、昭和53年に退社。本邦最初の探偵ドラマ『日真名氏飛び出す』の企画者として知られている。
昭和26年の1冊は「執務日誌」。飛び飛びで気ままに綴られたこの日記(9冊合計約450頁使用)は戦後復興期に於ける芸能界の裏面史的な一面をもっている。

●“昭和21年の新たなる年を迎へた。生活は益々しにくい嫌な毎日が続く、こんな毎日が今後どの位続くのかと思ふと全く生活に明るさを持てなくなる。闇市は主食品まで店頭に出してるし、バクチも公然と街路でやっている。一方共産党は色々と街頭で叫んでいるし全く様々な状景がみられる。新聞なぞで見ると一日に何十件と強盗殺人の記事が出ている有様だ。無政府状態とはこんな世の中を云ふのであらう。首相は病気でねているとか、とにかく強力なる政府が思ひ切った政策をやらない限り世はめちゃめちゃになる事うたがひなし。それにはまづ最低の主食配給を断行しない以上正常なる世の中にはならないであらう。どんな人でも現在闇をやらない人はなからう。それと云ふのも食はんが為に皆やっている事で決して本意からではない、生命を保たんが為にやっているに過ぎないのである。とにかく生活の余裕がない程楽しみのない事はない。ただ食べる事にのみ窮々としているのが現在の普通一般の人の生活だと思ふ。これでは文化とか芸術は高くなるどころか進歩と発達も危ぶまれる。もう少し生活によゆうをもたなければ本当の所日本は滅亡(文化的、科学的)になる。…”
(昭21年1月9日)

●“9時に日劇に入る。今日は午前中宝籤の抽選で小生そのアトラク全部の進行を引受けた関係上非常にその責任たるや重かつ大なり。出演者は藤山一郎、二葉あき子、宇佐美、山村、美滝、それにリーガル千太万吉、ミス貿易の田村秀子他三名にNDFの踊子9名。色々とややこしい。それでもアトラクも100万円の抽籤もどうにかおはる。お午は貿易博の招待で社長と共に築地の事務所で午食をする。相当御馳走して下れる。自動車で送ってくれ小生は今日はムーランのけいこがあるので新宿に出る。ムーランのけいこは来月から東京の楽団を入れる事になり、モダニヤーズにきめたが四日間だけは菊池のバンドを入れる。益田隆が非常にうるさいのでなかなか合はづ。四時頃から9時30分頃までかかって了ふ。家に10時にかへった。”
(昭和24年1月31日)

●“今日は浅草国際小劇場の初日、「裸の花園」。ベティ丸山、マキ川上、伊川みどり、美浜ちどり、それにピアノの飛さんにスチールの森さんで今日からはスチールが入ったので非常に良くなった。予算としたら今週が一番かかっているわけで400人平均行かないと赤が出るので少々あたまが痛い。それに今日は150人程である。初日と云ふのに美浜が来ないので稽古は遅れるし困る。結局来ないので仕方なしに下に使っているメリー美保を代役させる。何とか初日は開き、今度のは衣裳やその他の事も一番こっているので相当良くなった。…”
(昭和25年3月8日)

●“朝、川崎社長と色々と今後の出し物の事や何かで話し合う。今後の出し物を「裸のパンチ」と云うのをやれと云うので少々文句を云う。別にこれをやる事に於てちっとも意義がある事はないし、浅草の方でも止めて下れと云っている関係もあるし、何も好きこのんで女のレスリングをやる事はないと思うが、川崎氏があくまでやれと云うならやらねばならないし馬鹿臭くなって来た。お午に毎日ホールで「靴みがき」と云うイタリヤの映画の試写会があるのでそれを一寸のぞき、向うの感化院の生活を描いているので少々陰サンな映画で大した事はない。今日は小屋に行かづ会社でいろいろの仕事をやる。家にかへってから一パイやりマージャンをやる。”
(昭和25年3月20日)

●“調査部の方と芸人調査について打合せをする。芸人の人気調査と云ふ事は非常に必要な事と思ふ。部門別に分けてその部門の中の何人かを抽出してその人気を調査する事は個々のギャランテーを決める上にも大いに役立つ事と思ふ。おほざっぱな感で決める芸界で或る程度の科学性をもたせる事は良い事と思ふ。出来れば三ケ月毎位にやって貰へると有効である。”
(昭和26年8月19日)
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