【商品名】 東亜同文書院第十二期生I君「自筆日誌」二冊
【執筆年】 大正2〜6年
【状態】 経年相応の劣化有
【備考・コメント】
★筆者「I君」は明治26年生まれで、新潟県中蒲原郡五泉町出身。新潟中学校を卒業後、大正元年8月に上海の東亜同文書院へ第十二期生として入学し、大正4年6月に同院を卒業した。
一冊には『大正二年日誌』、もう一冊には『志願兵日誌 第一號 第十二中隊』と其々表紙に氏名と共に記されている。
何れもペン書で、市販のA5変判ノートを使用。
以下、各冊の概要。
■『大正二年日誌』 全160頁程
大正2年5月1日〜12月31日までの日誌。一日も欠かさず毎日細やかな筆跡で記す。この時I君は21歳で、I君と東亜同文書院の双方にとって重大な出来事が続いた時期にあたる。
5月1日〜7月5日までは上海の同書院桂墅里校舎寮に寄宿し、7月7日〜9月5日までの夏季休暇中は、友人と共に長崎県南高来郡島原町で過ごす。7月29日に第二革命による南北両軍の江南機器局争奪戦に巻き込まれ、桂墅里校舎が全焼。急遽、長崎県東彼杵郡大村町の正法寺内に臨時仮校舎が設けられ、I君含む同書院生らは9月6日〜10月23日まで同所に滞在。10月25日に上海ハスケル路の仮校舎に入寮し、以降は同仮校舎での寄宿生活が綴られている。
本日誌は、同書院の「桂墅里校舎全焼→大村臨時仮校舎→上海ハスケル路仮校舎完成」期を含む日々を記録した貴重な史料といえよう。
尚、I君は大村仮校舎滞在中の10 月3 日に故郷の五泉町で大火が発生し、実家が全焼するという大災難にも見舞われている。
巻末には、桂墅里校舎の全焼によりI 君が中学一年から付けていたという日記も灰燼に帰してしまった為、大正元年8月21日〜大正2年4月30日までの主な出来事(出郷・同書院入学式・上海コレラ大流行の為大村町に避難滞在・桂墅里校舎生活等)を思い出せる範囲で再録している。
その他、「現金支払」「財政一覧」「郵便物発着」「知人録」等を含む。数箇所に新聞記事の切抜貼付有。
●“九月十日 水曜日 雨天 昨日授業中、大阪毎日新聞ノ特派員ハ我ガ書院仮講習中ノ状況ヲ撮影セリ。追テ掲載サルラン。此所ノ寺院境内ニ高キ銀杏樹七八本アリ風ニ吹カレテ落ツルヲ童女来リ争フテ拾フ。午後ニ及ビ院長ハ登リテ枝ヲ振リテ全部落シ収拾ス。支那語、倫理、支那会話有リ。院長ハ十三日頃一旦帰京スト云ハル。一二年面識会開催ノ儀有リ。…(中略)…夕方ヨリ風止ミテ雨降ル。久シ振リナリ。夜、親シキ友数人ト床ニ横臥シテ色々ノ遊戯、千里眼、問答等ヲナス。”(於大村臨時仮校舎)
■『志願兵日誌 第一號 第十二中隊』 全105頁
東亜同文書院を卒業後、故郷の「村松歩兵第三十連隊」に一年志願兵として入営した大正5年12月1日〜大正6年1月31日までの日誌。
学術及び講話の概要、所感、注意、上官への質問等が毎日綴られており、提出を義務付けられていた本日誌には上官による赤ペン指導を散見する。I君は軍隊生活になかなか馴染めなかったようで、「発作的悲観ニ陥ル真情ヲ告白セハ兵営生活カ面白カラヌニ在リ」や、「近来熟眠セシコト無ク気分勝レス」等と心情を吐露している。
巻末に「勅諭」と、12月2日〜1月9日迄の収入支出表を記載。