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彫刻家・石川確治自筆資料一括 ■ 昭20年11月〜昭31年2月頃

商品詳細

【商品名】 彫刻家・石川確治自筆資料一括
【執筆年】 昭20年11月〜昭31年2月頃
【状態】 経年相応の劣化有
【備考・コメント】
★石川確治(明治14年8月8日-昭和31年2月14日)は山形県羽前山辺生まれ。号は方堂。明治38年東京美術学校彫刻科卒業。帝展審査員を経て昭和10年に第三部会(後に国風彫塑会と改称)を結成。彫刻・絵画・工芸・短歌等、生涯にわたり興の湧くままに制作に励んだ。以下、資料の概要。

■スケッチ帖一冊
四六横判 昭20年11月23日〜昭21年5月1日記/故郷の風景や自然など50点。主に鉛筆画だが、水彩も10点含む。

■自筆日記二冊
A5判 100P・43P ペン書/昭和23年1月1日〜12月31日までほぼ毎日記す。イラスト7点入。氏が知友と呼ぶ熊谷守一画伯が度々登場する。
●“天気ことの外よろし。午後三時頃散歩に出掛ける。赤羽の元被服所の辺を歩く。到る所に進駐軍あり。夜安藤氏福島県須賀川の彫刻家と来る…”(2月10日)
●“…夕刻浅尾氏来り。先日頼みし坂本繁二郎氏の滞欧作女の顔、六号油絵を手取り二万円にて売ってくれるたる報告をし来れるなり。金は月末の由、先づアトリエを建てる第一歩の資金出来たるにつき着々と其の方行に進むと思ふ。(中略) 幸ひ早く疎開せる故助かりし品なり。案ずるにあの絵は坂本氏の作品の内にても上位のものなり。買ひ取り人も必ず愛好することと思ふ。”(3月1日)
●“日曜日くもりのち雨となる。午後熊谷守一氏来る久々なり。油絵を見て貰ふ。(中略)村山氏宅へ行き大いに御馳走になる。一級酒あり大にのむ。熊谷氏の絵三枚貰ふて帰る。又御土産に塩と石鹸とを貰ふて帰る。夜十時過ぎとなる。”(5月16日)
●“…七時のニュースにて東京裁判の判決の報あり 東條以下七名死刑、小磯さんは終身刑なり 吾々として何の感じも今となりてはなし 只だ来るものが来たと云ふ感じだけなり”(11月12日)

■短歌・俳句ノート三冊
A5判程 昭28年8月29日〜昭31年2月7日記/合計220頁程に鉛筆で綴られている。

■大福帳一冊
和装 小横判 10丁/巻頭に「今度工房復興の為め何分乃御助力を御願い致しまして…」と石川による墨書がある。同郷の歌人・斉藤茂吉を含む17名の署名入。年代不明。

■鹿児島寿蔵より石川宛書簡八通
封筒付 各便箋もしくは400字詰原稿用紙1枚 ペン書/消印は昭和28年8月29日〜昭和31年2月2日。4通は石川の歌稿を鹿児島が添削し返送したもの。鹿児島は人形作家でアララギ派の歌人。石川の第一歌集『山澤集』の編集・校定・浄書・校正を担当した。

■自筆歌稿『林野集』400字詰原稿用紙96枚
ペン書、紐綴。昭和17〜28年に詠んだ計413首を収める。最終頁に「昭和二十九年二月一日、三回目校閲了」とあり鹿児島寿蔵の署名入。第二歌集として刊行を予定していたが未刊に終わったと思われる。
●“「玉音を拝し奉りて」 大君の休戦のみこと謹みてききつつわれは涙くだりぬ”(「昭和20年8月15日於山辺国民学校」)
●“豚肉のよき肉買ひて吾妹子が甘らに煮たり今日を祝ふと”(昭和22年5月3日新憲法施行の日)

◆上記の他に、昭和19年の自筆日記1冊、鹿児島寿蔵の添削入自筆歌稿9点(原稿用紙・罫箋計37枚)、来信5通。
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