【商品名】 倉田治三郎・喜代子夫妻旧蔵アルバム一括
【刊行年】 明治末〜昭和17年頃
【状態】 経年相応の劣化、アルバムに写真剥離箇所有
【備考・コメント】
■ 横浜本牧にあったチャブ屋「キヨホテル」を経営していた倉田治三郎と喜代子夫妻の旧蔵アルバム一括。
アルバムは全部で13冊。大小様々な生写真合計850枚余を貼り込んでいる。内二冊は倉田氏が会長を務めた「横浜乗馬協会」の写真がメイン。また、一冊は特製の『COLLECTION OF CURIOS』と題した倉田家所蔵の甲冑、刀、掛軸等骨董の写真帖。
時代は昭和期中心。一部の写真に人名を主とする自筆のキャプションが見られる。
■ 本牧の顔役的存在だった治三郎氏が妻・喜代子氏の名を冠し経営していた「キヨホテル」は、「チャブ屋」の中でもとりわけ超一流として知られていた。ホテルは第一から第三まであり、乗馬クラブも有していたという。
谷崎潤一郎が横浜に居を構えていた時代を回想した随筆『港の人々』に、この「キヨホテル」(当時の呼称は「キヨ・ハウス」)が登場する。以下、引用。
“左隣には庭を隔てて私の家より少し小さい洋館があった。露西亜人のボリス・ユルゲンス君と、彼の愛人のY子さんとが住んでいた。その後ろには映画監督で有名なトーマス・栗原君が居り、更にその向うには、私の家と呼応する如く海に突き出たキヨ・ハウスと云うチャブ屋があった。
「キヨ・ハウスの名は亜米利加までも響いている」と、そう云われるほどの名高いチャブ屋で、東京の人は或は知らないでもあろうが、横浜の港へ出入する外国の船員であったら、知らない物は恐らくなかったであろう。
私の二階の書斎からは、恰もその家のダンス・ホールが真向いに見え、夜が更けるまで踊り狂う乱舞の人影につれて、夥しい足踏みの音や、きゃッきゃッと云う女たちの叫びや、ピアノの響きが毎晩のように聞えるのだった。ピアノは潮風に曝されて錆びているのか、餘韻のない、半ば壊れたような騒々しい音を立てて、いつでも多分同じ客が弾くのであろう、フォックス・トロットのホイスパリングを鳴らしていることが多かった。”
■ かつては本牧の代名詞として世界に名を轟かせた「チャブ屋」であったが、戦時色が濃厚になるにつれて徐々に客足が遠のき、昭和16年に入ると一斉に廃業してしまう。
治三郎氏だけは時流に逆らって店を続けるが、ついには昭和18年に第一キヨを、翌19年春には第二キヨをも売却。敗戦後、氏は同所での再開を目論むがマッカーサーの圧力により断念。その後昭和26年頃に野毛の妾の家で亡くなったという。
■ 本品は倉田夫妻のプライベート・アルバムではあるが、躍進期-最盛期-衰退期に至る「キヨホテル」の実態も数多く捉えている。
戦前横浜の夜にひときわエキゾチックで妖艶な灯を燈した日々の喧騒を垣間見る一次資料である。
◆ 参考文献
・重富昭夫著『横浜「チャブ屋」物語』
・壇原照和著『消えた横浜娼婦たち』
・本牧のあゆみ研究会編『本牧のあゆみ』
【search keys】
Old photographs of "KIYO HOTEL (Kiyo House)" at Honmoku(Yokohama)in late Meiji period - 1942.
"CHABUYA"/night club in Japan/hostess/dancer/Jisaburo Kurata/Kiyoko Kurata/Junichiro Tanizaki/