【商品名】 石原道博 自筆日記13冊一括
【状態】 経年相応の劣化有
【備考・コメント】
昭和6〜18、23〜25年の16年間分、大半が菊判のノートにペン書。
石原道博 (1910-2010) は東洋史学者。主な著書に 『鄭成功』 『東亜史襍攷』 『明末清初日本乞師の研究』 『国姓爺』 『朱舜水』 『倭寇』 『文禄・慶長の役』 など。
氏の帝大時代(24歳)〜大塚史学会時代〜東京文理大東洋史研究室時代〜水戸高等学校教授兼茨城大学教授時代(40歳)の日記。昭和18年11月に召集されてから昭和23年5月にシベリアより帰還するまでの間の日記は中断されている。
●「一心塾会計報告 昭和10年6月」 「大塚史学会研究発表題目」 「昭和十三年度東京文理科大学東洋史学科修学旅行要覧 朝鮮地方」 「大陸部自治修養寮設置ニ関スル件」(大川周明ほか顧問)、台湾総督府発行の乗船賃割引券、石原の名刺(台北高等学校教授の肩書付を含む)等が貼り込まれている。また、昭和23年の日記には 、 の懸賞募集に応じて作詞した歌詞の記載有。
○“よく眠った。八時起床。期待の中に全寮晩餐会が来た。塩谷温、矢田挿雲など有能なる 先輩が続々きた。寮生の演説も前の茶話会に比して真剣に語った事はうれしい…” (昭6.6.10)
○“十八日夜正彦先生(※風船舎注:関屋正彦) を中心として北豊島協同組合会館にて第一回伝道会を開く…” (昭8.6.21)
○“一心塾、麹町富士見町生れ、瀧野川要町に育ち、今や世田ヶ谷三宿に移らんとす。富士見町の家は次の様だった (※間取図の書入有)” (昭10.10.17)
○“午前九時、京城師範の江田忠氏今日の案内役として宿に来られる。中山先生(※中山久四郎)も朝鮮ホテルより来られすぐ朝鮮神宮に参拝。石段実に三百七十二、五十段毎に多少平地の石畳を用ひてある。京城市内一望のうちにあり…” (昭13.4.1)
○“…三省堂 「鄭成功」 六百枚のうち自序の一部と参考文献の整理をのぞけバひとまづ完成、ホッとする。この間の血のにじむ努力よ、食欲なく一、二杯の飯にも胃腸の消化不良にして苦悶したことも幾たびか。一日中日の目をみずに書斎にとぢこもり、僅かに食事を便所のほかハ戸外に歩をふみださぬこともしばしばであった…” (昭17.3.12)
○“明日いよいよ入営である 目黒区東部第十七部入隊 昨日恩師和田清先生と橋本増吉先生が来訪されたのには恐縮した (中略) 頭を一分刈にする 再び遺言状も認めた…” (昭18.11.10)
○“…今年の最大事といえば何といってもシベリヤより帰還できたことである。今年も見込があるまいと思っていたのに五月末復員できたことハまさに死より生への歓喜であった しかし次におそいきたものハ生活-就職の問題だった…” (昭23.12.31)