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ホームレヴュー/歌劇/流行歌/歌謡曲 『星友』 第一号〜六号全冊揃 ☆本名・繁田裕司こと後の作詞作曲家・三木鶏郎が暁星中学校時代の仲間と結成した 「星友」 の機関誌。創刊時の三木は浦和高等学校に在学中の18歳■昭和7、8年
商品詳細

『星友』 第一号〜六号全冊揃 ☆本名・繁田裕司こと後の作詞作曲家・三木鶏郎が暁星中学校時代の仲間と結成した 「星友」 の機関誌。創刊時の三木は浦和高等学校に在学中の18歳■昭和7、8年

【商品名】 『星友』 第一号〜六号全冊揃
【著者名】 星友同人
【刊行年】 昭和7、8年
【備考・コメント】
菊判、孔版刷、合計600P余、生写真6枚貼込有(1枚欠)。
本名・繁田裕司こと後の作詞作曲家・三木鶏郎が暁星中学校時代の仲間と結成した 「星友」 の機関誌。
創刊時の三木は浦和高等学校に在学中の18歳。市谷暮児など複数のペンネームを用い、音楽や映画に対する批評、詩・小説・絵(表紙含む)、そして作曲を担当した <<星友行進曲>> を発表したり (楽譜入!) と多感な青年はその持て余す才能の一端を早くも披露。 
5号に掲載された 「 『星友』 投稿表」 によればその数は他の同人に比べ最も多く、第一号では印刷も任されていてグループの中心的存在だったことが窺える。
「星友」 の同人は12〜15人で本誌はその数に応じて限定印刷された。三木の回想録によると、当機関誌は20号近くまで発行されたらしいが、6号以降は生原稿を綴じて皆で回覧していたために印刷発行したのは全6冊である。巻頭に押された蔵書印から当品は同人の一人・都河輝雄の旧蔵品。ちなみに都河は熱心なレコードコレクターで、中学時代の三木は彼の兄からハーモニカ・バンドに誘われ入部したというエピソードを持つ。
各冊水シミ等の難があり決して状態良好とはいえないが、我国コマーシャル・ソングの第一人者・三木鶏郎の青春時代が刻まれた大変貴重な雑誌。


◆平成6年に発行された三木の回想録 『青春と戦争と恋と』 によると 「星友」 同人は以下のメンバー。

■繁田裕司 (三木鶏郎)
■都河輝雄 ( 『婦女界』 社主。三井鉱山) ※当品の旧蔵者
■阿部正一 (卒業後早世)
■青地蔵人 (日野自動車)
■花井静雄 (卒業後早世)
■本田繁男 (洗足学園)
■伊藤文雄 (音楽の友社・社長長男。画家志望。戦死)
■川村博通
 (「星友」提唱。慶応幼稚舎名物教師。後に幾也に改名)
■喜谷慶一 (三井不動産)
■南久松瞬一 (三菱石油)
■三輪田元則 (三輪田学園園長)
■関淳 (歴史学者。戦死)
■塚口正彦 (戦死)
■山中繁
 (山中銀行頭取長男。鳩山一郎女婿。独乙石炭研究所) 
■唯松太郎 (オペラマニア)  
                        
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